福祉体験学習ガイド

5.事後指導

Q5-1:子どもたちの「気づき」はどうしたら引き出せるのでしょうか?

  ◆気づきを引き出すには事後指導が大事です

 体験学習に取り組む意義は、子どもたちが体験から何か新しい「気づき」や「発見」をすることにあります。その気づきや発見は子どもたち自身で見つけ出すものではありますが、教師のサポートもそこで大きな役割を果たすことになります。そのサポートをうまく進めるためには、教師もその体験学習法のメカニズムをよく理解し、それを活用していかなければなりません。そこでは、体験後の事後指導が大きな意味をもってくるのです。
  ただ、ここで先生方にあらかじめ理解しておいていただきたいのは、その気づきは子どもたち各自で見つけるものであって、教師が最初に設定しておいた結論に全部の子どもたちを導いていくようなものではないとうことです。ゆえに、その気づきも一人ひとり違ってきますし、そのサポートも子どもによって対応を変えていかけなければなりません。また、このサポートは教師だけで行われるのでなく、子どもたちの集団の力を借りておこなうことのできるものだという認識も必要となってきます。

  ◆体験学習後の記録を書こう

  体験学習を行った後、忘れないうちに、その体験内容や感想を書いておくことはとても大切なことです。体験で行ったことやその時の自分の思い以外にも、体験場面で出会った人々の様子や反応で気づいたことなどにも目を向けて書くよう進めてください。最初から誰も記録をうまく書くことはできません。しかし、書くという作業を通して、もう一度体験を見直すことができるのです。

  ◆感じたままの思いを語り合う時間

 体験学習でいろいろな体験した後、その感想や気づいたことを子どもたちで自由に語り合う時間をとることは重要なことです。文章で自分の思いをうまく表現できなかった子どもたちも、他の子どもの感想を聞くうちに自分も同じ思いをもつことに気づく場合があります。また、自分とは異なる視点の感想を聞くうちに、自分の体験がこれまで違って見えてくるという場合もあります。ゆえに、先生方には、この「感想の語り合いの時間」の意義にもっと気づいていただきたいと思います。
  また、この感想の語り合いの時間では、感じたままの気持ちを素直にさらけだせるようにしていくことが重要です。相手に対して「近づきがたかった」「なんか気味が悪かった」といった感想を吐くのはタブーのように思われがちですが、それは自然な気持ちです。そんな気持ちはそのまま表現できるようにしていった方がよさそうです。その感情を無理に押さえつけてしまうことは、相手への関心を閉ざすことに繋がるのでないでしょうか。ただ、その感情表現のさせ方や場の空気の持ち方に教師のサポート技術がいりそうです。その感情をそのまま受け留めた後、そこから「どうしてそう感じてしまうのか」「そう感じる人とそうでない人はどう違うのか」などといった視点で、みんなでその感情を考え合うような試みも必要であるように思います。

  ◆自分を見つめ直す時間

  体験や感想の語り合いから子どもたちが感じた「驚き」や「発見」。そこから子どもたちが真の「気づき」ができるようになるには、体験をしっかりふりかえり、そこから生まれた自分自身の認識や感情の変化、自分と他者との関係の変化などをしっかり見つめ直し、自分の行動や態度を変えていく必要性を実感でき、実践できるようになることが求められます。
  この自分の見つめ直しの作業は、子どもたちひとり一人が自分でやるしかないものです。
ただ、教師は子どもたちを外側で観察したり、相談に応じるなかから、子ども自身では自覚できていないものだけど変化の兆しがあると感じられた時に、その気づきを子どもたちに自覚させていくためのアドバイス位はできるように思われます。
  この気づきのためのアドバイスがたくさんできるように、教師の方でも気づきを一杯増やしていく必要があるのでないでしょうか。

コラム:非日常的な場面での学習を、日常生活にどう活かせるか?

 福祉教育の体験学習の場を、福祉施設や養護学校など、子どもたちの日常とは別の場に求めてしまうことに疑問を感じることがあります。福祉課題をかかえる人々への理解や支援は日常生活の中でこそ自然にできなければならないのに、その体験をなぜあえて非日常的な世界で実施しようとしてしまうのでしょうか。
  しかし、いろいろな学習場面を試してみますと、やはり非日常的な場だからこそ学習できることもあるようです。同じ家族や学校の中では、これまでの人間関係や感情がどうしても交ざって、客観的に相手や自分を観察したり、行動を変えてみたりすることができないものです。それに対し、非日常的な世界では、普段の自分から解放され、自分の認識や行動を思い切って変革できるのが人間のようです。ゆえに、福祉施設や地域の交流事業など、学校や家庭から離れた場面に学習の場を求めることはそれなりに意味があります。
 ただ、教師は、非日常的な世界で学んだことを日常生活の中に活かしていけるようになる力を子どもたちに育んでいく必要があります。そのためには、教師は子どもたちの中で起こっている問題(いじめの問題など)や地域で暮らす障害者や高齢者の問題などに敏感になる必要があります。そのような予備知識をもっていると、非日常的な世界で学んできたことをタイミングよく子どもたちの日常生活へと繋げていけるのです。

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Q5-2:子どもたちの反応をどう考えればよいのでしょうか?

  ◆「きたない!こわい!」 

    福祉は決して美しい世界ではありません。また、あたかも美しいもののようなイメージを先行させてきた状況を問い直し、多彩で切実な問題に答えていける学習にしてほしいと思います。最初の出会いに戸惑いは当然、その感情を無視したり隠したりすることは必要ないのではないでしょうか。その正直な反応は本能でもあり差別ではありません。これを対象者に気遣って取り繕うより、ありのままの感情や疑問を素直にぶつけ合える場づくり、環境づくりから始めればよいのではないでしょうか。「差別したがる心」「弱者をさげすむ心」「好き嫌いだけで動く心」・・・そんな感情をどうしたらよいか。単に「高邁な理念」や「堅苦しい建前」「人間尊重のスローガン」だけを強要し、子どもたちを型に押し込んで済ませられる問題ではないと思います。「人と人とがぶつかり合う火花をどう処理するか」・・・ここに完璧な回答はなく、総て手探りです。無表情で味気ない福祉教育のタガを押しつけることなく、目の前でむき出しにされた感情を考えていくことが、ともに生きることへの出発となるのではないでしょうか。
 ある1歳半の男の子が親族の集まりで、脳性マヒの叔父と始めて会ったときに一瞬恐怖と驚きに顔をこわばらせ、しばらく遠巻きに見ていたという話を聞きました。その男の子は91才の曾祖母と対面した折にも同様の表情を見せたそうです。いずれの場合もごく短時間で家族の接し方に同調し、その雰囲気に添った親密な関係を持てるようになり、以後自然な交流が続いているそうです。「素直な感情を大切にし、どの子も心の底に持っている学び合い成長したいという内発性に、低い目線で穏やかに働きかけることこそ、大人として望ましい態度だと思う」とこの話をしてくれた方は言っておられました。
 総てが強制とは対極にある試みであり、福祉との相性を見極めながら、成り行きを注目する慎重な取り組みがなされるならば、身の丈に合った希望が生まれることと思います。

  ◆「〜の人の気持ちがわかった」

  障害者や高齢者との交流の時間を設けたり、疑似体験や介助体験をしたあとの「ふりかえりノート」を開いてみると、その感想には必ずといっていいほど「視覚障害者の気持ちがよくわかった」「車椅子利用者がまちを歩くたいへんさがよく分かった」などといったことが書かれています。
  しかし、実際には人の気持ちや立場を「わかる」ということは、そう簡単なことではありません。結構、子どもたちも何となくそれに気づいているのですが、大人たちの手前、このような場面ではそれが「わかった」と表現しなければならないことも知っているのです。ゆえに、こんな感想を子どもたちに書かせてしまうのは、そうさせてしまう教師の方に問題があるのかもしれません。
  体験から感じとることは、本当は一人ひとり異なるはずですし、他者を理解することなど簡単にできるはずはありません。ゆえに、教師は、体験から感じたことを子どもたちにもっと自分に引き寄せて考えるように促すとともに、そこから自分と他者の違いに気づかせ、そこから福祉へと目を広げていけるようにしていただければと思います。

  ◆「えーっ、また行くのかよぉ!」 

 ある福祉施設に2度目に行くことが決まったとき、児童や生徒の中からこんなつぶやきを聞くことがあります。でも、そんなつぶやきを聞いたときには、「そんなことを言ってはいけません。」と叱るのではなく、その子に前回行ったときのことをよく思い出させて、「あのときのおばあちゃん、楽しそうだったね。」とか、「あのおじいちゃんにまた会ってみたいよね。」などの言葉かけをして、次はどんなことをやろうか考えさせていくことが大切です。
  施設訪問は、1回行っただけではその場限りの体験活動になってしまい、活動が広がりません。2度、3度と行くうちに初めて相手の気持ちを理解したり、自分の活動の甘さに気付いたりするものです。また、何度か回数を重ねていくと、本当に相手がしてもらいたいことは何なのか、それに対して自分がどれだけのことができるのか、考えるられるようになってきます。ですから、時間の許す限り、複数回の訪問ができるように計画を立てていけるようにしましょう。
  また、児童や生徒の発達段階にも関係があります。小学校低学年では、児童は自発的には活動出来ませんから、どうしても教師が場の設定をし、施設訪問をさせることになります。高学年になると、少しずつ相手の立場で考えられるようになるので、児童の考えを充分に取り入れながら施設訪問の活動内容を作っていくことができます。中学校では、生徒の自主性を尊重しながら施設訪問させ、そこから自分が何を得たのか、じぶんにはどんなことができるのかを考えさせていくことができます。いずれにしろ、施設訪問では、施設側と教師との充分な事前の打ち合わせが大切です。

コラム:子供の反応に差があるのですが・・・

  子供が10人いれば10の反応が生まれます。体験前であれ,体験後であれそれは同じです。たとえば,施設訪問を計画したとします。事前に意識調査を行っても,知識や関心に差が見られます。それを少しでも補う意味で,オリエンテーションが必要になるわけです。子供たちの意欲をいかに引き出せるかが鍵です。情報を与えたり,自分たちで情報収集する時間を十分確保するなど,準備段階も充実させたいですね。
 様々な体験後の反応は,さらに大きな開きがあることでしょう。驚きや感動,落胆など一つの同じ体験でもこうも違うものかと思うほどです。シニア体験の後,「筋力の衰えが心配だから運動を欠かさずやりたい」という子や「そんな大変な年寄りにはなりたくない」など極端な感想も聞かれますが,どれも子供たちの本心です。体験をその後の生活にどう生かしていくかが大切です。
  多くの福祉体験やボランティア体験などがありますが,最初の反応は人それぞれでしょう。しかし,一つの体験をきっかけにして自分の生活の中に変化が表れたり,さらに活動が継続されたりすると,反応にだんだん差がなくなってくるのではないでしょうか。そして,ゆくゆくは「お年寄りの方」や「障害者」と呼んでいた子供たちが,「○○さん」と呼ぶようになる。福祉体験をきっかけに,そんな理解し合える関係になれるとすばらしいですね。

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Q5-3:子どもたちの「できること探し」をどうサポートすればいいですか?

  ◆相手不在の「出来ること探し」

 この「出来ること探し」が「本当に相手のことを考えて行われているのか」「学習成果を出すために無理して探させていないのか」と疑問に感じることがあります。例えば、点字の学習をすすめた或る学校の教師から福祉の相談機関に、「点字の絵本を子どもたちが作り上げたのだけれど、それを盲学校に送りたいので連絡先を教えてくれ」と問い合わせが来たことがあるそうです。しかし、盲学校に問い合わせてみると「受け取ることは出来ても利用されるかどうかは分からない」「最近、同じような申し出が多くて保管スペースが十分になくて困っている」という話で調整に困ってしまったという話です。子どもたちと教師で一緒になって一生懸命作ったものでしょうが、相手の事情は事前に確かめられていませんでしたし、自分たちの知識や技術が通用するものかどうかの検討はされていなかったのです。気持ちは尊重して受け取ってくれたものの相手の役にたつものになったかどうかは疑問です。

  ◆相手の望むことから探していこう

 このような「相手不在のままの出来ること探し」が、現在の福祉教育の中にはいっぱいあります。相手のために出来ることを探していたはずのなのに、相手としっかり関わり、相手の立場や気持ちになって考えようとしていないから起こっていることといえます。ボランティア活動の基本と同じように、何かをしてあげたいと思ったら、相手といろいろに関わり、相手が困っていることや望んでいることを知ろうとする努力が初めに必要になります。将来のある子どもたちのことを思いやり、福祉施設も高齢者や障害者たちも、多少の迷惑を感じたとしても様々な「出来ること探し」を受け入れてくれています。しかし、それに甘えず、相手の立場にたった「出来ること探し」を考えていくべきではないでしょうか。

コラム:「出来ること探し」の課題をどう探せばよいのでしょう
 「出来ること探し」や「課題解決の道探し」を、いつも同じように「まちや建物のバリアー探し」に向けているようでは限界です。身近にも、「通院日に車椅子を利用しているおばあちゃんをレストランに連れていきたいのだけれど、つくば市ではどこのレストランなら対応できているのだろう?」「視覚障害のある大学生のお兄さんが、いつも出かけるレストランで、メニューが読めなくて困っているよそうだ」など、何とかしてもらいたい課題をかかえている人は意外にたくさんおられるものです。普段の生活や身近な人の課題から、そんな情報収集や気づきができる子どもたちになってほしいものです。
 この「出来ること探し」の目を、発展途上国に暮らす人々たちの生活に向けてみることもできます。豊かな日本と異なり、食べていくのも大変な生活をしている国の人々がいっぱいあります。そんな国の人々のために何かできないかと考えてみるのも重要なことです。それを、「これは国際交流分野でやること」と狭い発想に陥らないようにすることも大切です。ともに生きることは、地球規模で考えていかなければならない時代に来ています。

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